ヨコハマ映画祭とは、映画愛好者が手弁当で始めた映画祭のこと。
ヨコハマ映画祭実行委員会が主催しており映画をこよなく愛する人たちが観客目線で選ぶイベントです。
1980年から始まり1982年森田芳光監督 の・ようなもの、1983年大林宣彦監督 転校生、1984年森田芳光監督 家族ゲームとメジャーな映画賞では決して1位にはならない作品が選ばれることに強く共感したものでした。
時を同じくして横浜の高校生/大学生が始めた映画祭がありました。
それが横浜自主映画上映会主催によるヨコハマ自主映画祭。
2代目の代表小関氏と仲間たちが小さい会場から始まり桜木町紅葉坂にある大きな会議室を借り割れんばかりの大拍手をもらっているのを見て是非ともスタッフになりたいと話しかけたのが1983年のこと。
翌年大学生になった私は喜んでお手伝いを。
何度かの小さな上映会を経て1984年国際青年年IYYフォーラムを横浜開港祭の一環としてヨコハマ映画祭を行うことになりました。
前述は小関代表は会頭と呼ばれ私は制作デスクとして当時はまだ珍しかった東芝のワープロJW-1を男の24回払いで購入。
ディスプレイは液晶2行のみ。
想像力を駆使してレイアウトを組み会報を作ったものでした。
事務所も桜木町からほど近い寿町の雑居ビルの1室を借り仲間たちと何日も寝泊まりしながら映画祭の準備をしておりました。
小関会頭の友人に当時ウエンディーズ元町店に勤務していたO沢さんの協力もあり当日会場でハンバーガーを売ることになりました。
会場はジャックの党として横浜市民に愛されている横浜開港記念館。
横浜市のサイトより画像引用
レンガ造り大正時代の名建築としても有名です。
そんな歴史と風格ある場所での映画祭は会場が人々が分散されたものの成功を収めました。
ただそのハンバーガーの売上は芳しくなく申し訳なかったなと今でも思います。
その輝かしい青春の記憶の中に深く刻み込まれたウエンディーズが12月一杯で日本から撤退するとのこと。
チリビーンズにはスパイシーソースをたっぷりとかけていただきます。
クミンの香りが結構するこのソースの正体は何なのだろう?
昔はトッピングに玉ネギとチーズがあったな。
ボリュームあるハンバーグに食べ応えある野菜類。
ふっくら適度な弾力あるバンズは昔より今の方が旨い。
チーズもマクドナルドやロッテリアで使用されているものより塩分はいくらか高め。
銀座店は最後の駆け込み需要でお客さんでごった返しておりました。
そう頻繁にいただくわけでは無いけれど来年には食べられなくなってしまうのは残念。
映画祭の想い出と共にこの味も想い出になってしまうのですね。
ウエンディーズ西銀座店
東京都中央区銀座2-2-2 新西銀座ビル1F
2009年12月31日まで
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